遺跡調査へ鎌倉に行ってきたよ!

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石造物を求めて鎌倉へ。
写真だらけなので記事は続きから↓
どうもコツカです。
1月14日に藤沢〜鎌倉まで自転車を走らせながら石造物を見に行ってきました。
きっかけはゼミの新年会でのこと。
ゼミの教授は中世の鎌倉周辺部の道について研究されており、酒の席で色々教えてもらっていたノデス。
自分も前よりしょっちゅう藤沢と鎌倉の境にある村岡という地域について調べていたので、酔っ払いながら
道についての話題をしてみたのです。
俺→(*°∀°*)ヒック「いや〜鎌倉の『青蓮寺』っていう寺の所に腰越に通じる道があるらしいんですよ〜」
教授(・ω・)「まじ?どんなの?」
(*°∀°*)「くぁwせdrftgyふじこ…〇×△□……ヒック」
多分酔っ払ってイミフな説明をしたのでしょう。
(´・ω・)? (*°∀°*)アヒャ?
(´・ω・)<とりあえず後期レポートに書け。 (*°∀°*)<ワカリマシター
(´・ω・)<あと、「泣塔」って石造物あるからそこも見てきて (*°∀°*)<ワカリマシター
【新年会の後】
(*°∀°*)ヒック <あれ?レポートの締め切りまで日付なくね?
(*°∀°*).;:…(*°∀...:.;::..(*°;::: .:.;: サラサラ..
そんなわけで、急きょ周辺部の調査をすることになったというわけ。
突然のお題とはいえ、卒論で取り上げようと思っていた場所なので良い機会をいただけたと思ってます。
(普段ノベルゲームとか作ってますがこっちが本業なのです)
自宅から目的の場所へはだいたい自転車で一時間くらいかかります。
地図はこちら
ルートとしては先生が気になっている「泣塔」から、周辺の寺社を回って腰越に抜けるというルートを探します。
(地図としては下の方に移動すると腰越があります。)
そんなわけで1月14日の早朝に出陣。泣塔の周辺まで電動自転車のモーター音を走らせながら移動していたのですが、近づくにつれて昔の痕跡に気がつきます。

民家の中に現れる横穴墳墓の跡。以前村岡・川名の横穴古墳群を紹介しましたが、それほど離れていない地域なのでいたるところにあります。ここの場合は入口がふさがれていますが、ちょうど墳墓の上にあるお寺に石造物の残欠があったから多分やぐらなのかな?
ちょうど鎌倉と藤沢の境目にあるこの地域は中世以前より人々の生活が営まれ、葬送の場などに利用されてきた特殊な空間だったようです。
そして「泣塔」へ。
「泣塔」は湘南モノレールの深沢駅から降りてすぐ、JRの貨物駅の施設内にあります。サッカー場が隣にあって子どもたちがボールで遊んでいたよ。

「湘南モノレール」といえば04年放映の「美鳥の日々」に頻繁に登場しましたね。
春休みには聖地巡礼でもしようかなw(´∀`)


施設内にある小高い山にそびえるのが「泣塔」と呼ばれる室町期のものと思われる見事な宝篋印塔です。

……とまぁふざけているのはここまでで、なぜこの宝篋印塔が「泣塔」と呼ばれるのでしょうか?
実はこの宝篋印塔のある洲崎という場所は、1333年鎌倉幕府崩壊の時、鎌倉を滅ぼす新田義貞の軍と幕府軍が決戦を行った洲崎合戦場跡だと言われているのです。
『太平記』にはこの戦いで一晩に65回もの戦闘が行われたといわれ、その激しさがうかがえます。
そしてこの宝篋印塔はその戦死者を供養の目的で建立されたものだといわれております。
背後にはやぐらがあります。おそらく合戦の戦死者を弔ったのでしょう。
そんな曰くからか、この宝篋印塔には色々な噂がつきまとい、地元では心霊スポットとされてしまう目にあっております。
詳しくはウィキを見よ!
村岡は自分の家の出身地で、『太平記』を見ると新田義貞が「藤沢村岡などに火をかけて住民たちが逃げ惑った」という記述を目にします。
御先祖様が大変な目にあったのかもしれませんし、同時に合戦でなくなった人たちのことを思うと塔の前でおもわず手を合わせてしまいました。
・周辺の寺社
「泣塔」を後にして、湘南モノレールの上をくぐるとすぐに寺社の固まった小山があります。
ここには寺院3か所、神社2つと非常に密集している場所で、ここではその一つ、梶原の御霊神社があります。



ここの境内にはやぐらと五輪塔などがあります。この神社の周辺全体にやぐらがあり、この場所の特殊性をうかがわせます。



青蓮寺を抜けて腰越へ

梶原の御霊神社からやや南にある手広の交差点を抜けて青蓮寺前の道を通ります。
このお寺は弘法大師が開山といわれており(うさんくさいが)、少なくとも室町期にはあったらしいので古いお寺なのは間違いないようです。また江戸時代には徳川家康から二十五石を寄進されており、格式の高いお寺です。
今回鎌倉に行くきっかけになった飲み会の道はここ。
ただしこの道、実は昭和に自衛隊が掘削機で削った道なんだとか(ノ∀`;)アチャー
しかし、この道が出来る前は青道寺に洞門があったといい、そこから旧江ノ島道に続いている道がらしいので、まだまだ調べる必要があります(この時は自転車に乗りすぎて尻が痛かったので調べなかった←ぉぃ)
鎌倉周辺部の道の研究で、「鎌倉街道」とされる道がよく取り上げられるのですが、そこには腰越に抜ける道に触れられることがありません。
江ノ電の駅では藤沢〜腰越を抜けて「しおさいのセレナード」の舞台の七里ガ浜〜稲村ケ崎へ行くのです。
「太平記」には稲村ケ崎に抜けた新田義貞が海に黄金の剣を投げた伝説を小さい頃から聞かされたのですが、内陸にある村岡からいったいどうやって抜けたのか気になっております。(あくまで創作の伝承なのですが)
とまぁそんなわけで昭和に開かれた「腰越大船線」と呼ばれる道を通って腰越へ。
「しおさいのセレナード」内での「神戸橋」背景の場所へ抜けます。


すぐ前には江ノ電「腰越」駅もあります。


そして海を眺めながら一休み。
電動自転車で足は疲れなくなったはいいけど、何時間も座ってたせいでお尻が痛くなりました(笑)痔になりそうw
とりあえず今回の格言?としては、
寺社のある場所には必ず道がある(by教授)
ということです。神社には参道もあるし、そこにお参りするための道がありますからね。
寺社のある場所を点で結んで線にした場所、そこに大昔の道の痕跡を見つけることができると思っております。
(僕はにわか史学生なので実はそれ以上に意味があるのかもしれません。もっと勉強が必要です。)
ともあれ、「腰越に抜ける道」というのが自分から言い出した結果がこのあり様だよ!!!ってオチでした。
ただ、今回の発見が二つありました。
ひとつは青蓮寺から今の道ではなく、古い洞門があるということ。
これは年代が分らないのですが、道を考える上で重要でしょう。現在は封鎖されているらしいですが、どのようなルートなのか気になる所です。
ふたつめは梶原御霊神社周辺の道から鎌倉山を抜けて西鎌倉〜腰越に出られるんじゃないかということ。
これは泣き塔と梶原御霊神社周辺の寺社を調べていけるんじゃないかと思った道です。
ここら辺は本当に妄想に近いので、春休みにはこれらのルートをくまなく探さなければと思っています。
さて、完全に誰得記事となってしまいましたがここまでお付き合いくださりありがとうございました。
ここからは余談なのですが大学に入ってこうして史学を学ぼうと思ったきっかけの一つは「しおさいのセレナード」だと思っています。
「しおさいのセレナード」は高校の頃から企画を始めて、鎌倉や藤沢などの写真を撮ってロケをしていたのですが、必然的に神社などもまわることになりました。
同時に自分の住んでいる町についてもっと知りたいと思う気持ちもわくようになりました。結局それが高じてこうして学問として足を運んでいるんでしょうね。
こうして史学で学んだことも「しおさいのセレナードEP2」にネタとして取り込めればいいな〜と思っています。
ではでは。(°∀°)ノ
1月14日に藤沢〜鎌倉まで自転車を走らせながら石造物を見に行ってきました。
きっかけはゼミの新年会でのこと。
ゼミの教授は中世の鎌倉周辺部の道について研究されており、酒の席で色々教えてもらっていたノデス。
自分も前よりしょっちゅう藤沢と鎌倉の境にある村岡という地域について調べていたので、酔っ払いながら
道についての話題をしてみたのです。
俺→(*°∀°*)ヒック「いや〜鎌倉の『青蓮寺』っていう寺の所に腰越に通じる道があるらしいんですよ〜」
教授(・ω・)「まじ?どんなの?」
(*°∀°*)「くぁwせdrftgyふじこ…〇×△□……ヒック」
多分酔っ払ってイミフな説明をしたのでしょう。
(´・ω・)? (*°∀°*)アヒャ?
(´・ω・)<とりあえず後期レポートに書け。 (*°∀°*)<ワカリマシター
(´・ω・)<あと、「泣塔」って石造物あるからそこも見てきて (*°∀°*)<ワカリマシター
【新年会の後】
(*°∀°*)ヒック <あれ?レポートの締め切りまで日付なくね?
(*°∀°*).;:…(*°∀...:.;::..(*°;::: .:.;: サラサラ..
そんなわけで、急きょ周辺部の調査をすることになったというわけ。
突然のお題とはいえ、卒論で取り上げようと思っていた場所なので良い機会をいただけたと思ってます。
(普段ノベルゲームとか作ってますがこっちが本業なのです)
自宅から目的の場所へはだいたい自転車で一時間くらいかかります。
地図はこちら
ルートとしては先生が気になっている「泣塔」から、周辺の寺社を回って腰越に抜けるというルートを探します。
(地図としては下の方に移動すると腰越があります。)
そんなわけで1月14日の早朝に出陣。泣塔の周辺まで電動自転車のモーター音を走らせながら移動していたのですが、近づくにつれて昔の痕跡に気がつきます。

民家の中に現れる横穴墳墓の跡。以前村岡・川名の横穴古墳群を紹介しましたが、それほど離れていない地域なのでいたるところにあります。ここの場合は入口がふさがれていますが、ちょうど墳墓の上にあるお寺に石造物の残欠があったから多分やぐらなのかな?
ちょうど鎌倉と藤沢の境目にあるこの地域は中世以前より人々の生活が営まれ、葬送の場などに利用されてきた特殊な空間だったようです。
そして「泣塔」へ。
「泣塔」は湘南モノレールの深沢駅から降りてすぐ、JRの貨物駅の施設内にあります。サッカー場が隣にあって子どもたちがボールで遊んでいたよ。

「湘南モノレール」といえば04年放映の「美鳥の日々」に頻繁に登場しましたね。
春休みには聖地巡礼でもしようかなw(´∀`)


施設内にある小高い山にそびえるのが「泣塔」と呼ばれる室町期のものと思われる見事な宝篋印塔です。

……とまぁふざけているのはここまでで、なぜこの宝篋印塔が「泣塔」と呼ばれるのでしょうか?
実はこの宝篋印塔のある洲崎という場所は、1333年鎌倉幕府崩壊の時、鎌倉を滅ぼす新田義貞の軍と幕府軍が決戦を行った洲崎合戦場跡だと言われているのです。
『太平記』にはこの戦いで一晩に65回もの戦闘が行われたといわれ、その激しさがうかがえます。
そしてこの宝篋印塔はその戦死者を供養の目的で建立されたものだといわれております。
背後にはやぐらがあります。おそらく合戦の戦死者を弔ったのでしょう。
そんな曰くからか、この宝篋印塔には色々な噂がつきまとい、地元では心霊スポットとされてしまう目にあっております。
詳しくはウィキを見よ!
村岡は自分の家の出身地で、『太平記』を見ると新田義貞が「藤沢村岡などに火をかけて住民たちが逃げ惑った」という記述を目にします。
御先祖様が大変な目にあったのかもしれませんし、同時に合戦でなくなった人たちのことを思うと塔の前でおもわず手を合わせてしまいました。
・周辺の寺社
「泣塔」を後にして、湘南モノレールの上をくぐるとすぐに寺社の固まった小山があります。
ここには寺院3か所、神社2つと非常に密集している場所で、ここではその一つ、梶原の御霊神社があります。



ここの境内にはやぐらと五輪塔などがあります。この神社の周辺全体にやぐらがあり、この場所の特殊性をうかがわせます。



青蓮寺を抜けて腰越へ

梶原の御霊神社からやや南にある手広の交差点を抜けて青蓮寺前の道を通ります。
このお寺は弘法大師が開山といわれており(うさんくさいが)、少なくとも室町期にはあったらしいので古いお寺なのは間違いないようです。また江戸時代には徳川家康から二十五石を寄進されており、格式の高いお寺です。
今回鎌倉に行くきっかけになった飲み会の道はここ。
ただしこの道、実は昭和に自衛隊が掘削機で削った道なんだとか(ノ∀`;)アチャー
しかし、この道が出来る前は青道寺に洞門があったといい、そこから旧江ノ島道に続いている道がらしいので、まだまだ調べる必要があります(この時は自転車に乗りすぎて尻が痛かったので調べなかった←ぉぃ)
鎌倉周辺部の道の研究で、「鎌倉街道」とされる道がよく取り上げられるのですが、そこには腰越に抜ける道に触れられることがありません。
江ノ電の駅では藤沢〜腰越を抜けて「しおさいのセレナード」の舞台の七里ガ浜〜稲村ケ崎へ行くのです。
「太平記」には稲村ケ崎に抜けた新田義貞が海に黄金の剣を投げた伝説を小さい頃から聞かされたのですが、内陸にある村岡からいったいどうやって抜けたのか気になっております。(あくまで創作の伝承なのですが)
とまぁそんなわけで昭和に開かれた「腰越大船線」と呼ばれる道を通って腰越へ。
「しおさいのセレナード」内での「神戸橋」背景の場所へ抜けます。


すぐ前には江ノ電「腰越」駅もあります。


そして海を眺めながら一休み。
電動自転車で足は疲れなくなったはいいけど、何時間も座ってたせいでお尻が痛くなりました(笑)痔になりそうw
とりあえず今回の格言?としては、
寺社のある場所には必ず道がある(by教授)
ということです。神社には参道もあるし、そこにお参りするための道がありますからね。
寺社のある場所を点で結んで線にした場所、そこに大昔の道の痕跡を見つけることができると思っております。
(僕はにわか史学生なので実はそれ以上に意味があるのかもしれません。もっと勉強が必要です。)
ともあれ、「腰越に抜ける道」というのが自分から言い出した結果がこのあり様だよ!!!ってオチでした。
ただ、今回の発見が二つありました。
ひとつは青蓮寺から今の道ではなく、古い洞門があるということ。
これは年代が分らないのですが、道を考える上で重要でしょう。現在は封鎖されているらしいですが、どのようなルートなのか気になる所です。
ふたつめは梶原御霊神社周辺の道から鎌倉山を抜けて西鎌倉〜腰越に出られるんじゃないかということ。
これは泣き塔と梶原御霊神社周辺の寺社を調べていけるんじゃないかと思った道です。
ここら辺は本当に妄想に近いので、春休みにはこれらのルートをくまなく探さなければと思っています。
さて、完全に誰得記事となってしまいましたがここまでお付き合いくださりありがとうございました。
ここからは余談なのですが大学に入ってこうして史学を学ぼうと思ったきっかけの一つは「しおさいのセレナード」だと思っています。
「しおさいのセレナード」は高校の頃から企画を始めて、鎌倉や藤沢などの写真を撮ってロケをしていたのですが、必然的に神社などもまわることになりました。
同時に自分の住んでいる町についてもっと知りたいと思う気持ちもわくようになりました。結局それが高じてこうして学問として足を運んでいるんでしょうね。
こうして史学で学んだことも「しおさいのセレナードEP2」にネタとして取り込めればいいな〜と思っています。
ではでは。(°∀°)ノ
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